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INFO:
「これ、誰の?」彼氏が助手席の下から『写ルンです』を見つけた_「ええ、と……」「元カレのやつとか?」彼氏は笑いながら、核心を突いてきた_「ええ、どうだろ、思い出せない」視線を逸らす私を、彼氏は笑みを浮かべたまま見つめた「現像してみたら?」「え?」「現像できる期限とかあるんかな?」そう言って彼氏は、スマホを手にした「あ、現像できるらしい」「え?」「調べたら、10年経ったやつでも、現像できるやつはできるらしい」「ああ、そう……」私は、近くのコンビニに車を停めた「ちょっとさ、飲み物買って来る」そう言って私は、車を降りた_確かに2年前、よく元カレと『写ルンです』を持ち歩いていた_それは、別れたあとにぜんぶ処分したはずだった_それなのに、助手席の下からそれが出てきた_あれはきっと、元カレとの写真が収められた『写ルンです』だった_お茶とコーヒーを買って、車に戻った_「カシャ」っと音が鳴って、助手席に座る彼氏が写ルンですを構えていた_「なにしてるの?」彼氏は閉じていた左目を、ゆっくりと開いた「1枚だけ、残ってたから」「はあ……」私は溜め息を吐いて、シートベルトを締めた_「ちゃんとさ、現像してよ?」彼氏は笑いながら言った_「なんで? 嫌じゃないの?」私は、エンジン掛ける手を止めた_「嫌だけどさ、過去をなかったものにするのは、もっと嫌」「はい? 元カレのことなんか思い出して、なんになるの?」「んん、そうだね、ごめんね……」「いまが幸せならさ、見る必要ないじゃん」彼氏はそれ以上、なにも返すことなく窓の外を見つめた_そのあと、相槌しかしない彼氏を、家に送り届けて、何度か振り返る彼氏をしばらく見つめた_私は、強く言ってしまったことをひどく後悔した_コンビニに寄って『写ルンです』を買った_仲直りのきっかけに、つぎのドライブは、これを待って行こう、そう決めた_その夜、彼氏から電話が掛かって来た_『あのさ、言えてないことがあって……』「うん?」『実はさ……』別れを、切り出されると思った『いま俺、入院してて』「え?」『そう長くないみたいで』彼氏は、すこし笑いながら言った「え、待って、意味がわからない」『ほんとはさ、このことは言わずに、別れようと思ってたんだけど』「待って」『でもさ、俺がカメラを向けたとき、あんな顔したじゃん?』あのとき私は、向けられたカメラに怒った顔をした「うん……」『あんな顔されたらさ、別れるなんて言い出せないよ』彼氏は、また笑って言った『いまが幸せならって、言ってくれたじゃん?』「うん」『嬉しかった』彼氏の声が、震えていた『やっぱりさ、元カレになるのは怖いね……』彼氏はすこし黙って『最近読んだ小説でさ、黙ったまま「別れよう」って、手紙を残してこの世を去る彼氏がいた、ほんとはさ、そうしたかったんだけど、俺には無理だった……』そう言葉を詰まらせて『俺が望んだのは、最後の最後までそばに居てほしい、それだけだった』声が、遠ざかった_私はすぐに、家を飛び出した_病院で待つ彼氏を、すぐに抱き締めた「教えてくれて、ありがとう……」時間の許す限り、彼を抱き締めた_彼が息を引き取ったのは、その10日後のことだった_彼の持ち物の中には、『写ルンです』があった_私は、現像するべきか迷った_迷ったけれど、彼が唯一撮った、私の写真を見たくなった_車の中で、現像してもらった写真を恐る恐る捲った_そこには、元カレの写真は1枚もなかった_「え……」ぜんぶ日付が最近のもので、ふたりで出かけた場所の写真だった_彼はひとりで、思い出を巡っていた_最後の1枚だけ、私の写真だった_それはあの日、車の中から彼が撮った写真だった_私の顔は、怒ってなんかいなかった_『あんな顔されたらさ、別れるなんて言い出せないよ』写真の中の私は、笑っていた_彼は、嘘をついた_『これ、誰の?』いつか来る、元カレという自分の立場を確認するために『元カレのとか?』そう訊いた_あのとき私は『元カレなんか思い出して、なんになるの?』と言った_その瞬間、彼はどこか安心したような顔をしていた_きっと彼は、自分が居なくなっても、思い出すことなく、前に進んでくれる、そう確信を得たんだと気づいた_私は前を向いた_彼の望み通り、思い出さないようにした_けれど、どうしても、手もとの写真を手放せなかった_『やっぱり、元カレになるのは怖いね……』元カレになれなかった、私の弱虫な彼氏_あの日、何度も振り返る彼の横顔が浮かんだ_それは、どこに行こうとも、こびり付いたまま、離れてくれそうにはなかった_元カレになんか、最初からなれるはずがなかった_